クノイ島 (Kunoy)
クノイ島(Kunoy)は、フェロー諸島で8番目に大きい島. 諸島の北東側に位置し、ケァルソイ島とボルウォイ島の間にある.
現在島にある集落は2つ. 西岸にある人口64人のクノイ村と、南東岸にあるHaraldssundである. 1988年に、この2つの集落を結ぶトンネルが開通した. 現在は島の舗装路を路線バス(番号:504番)が通っており、KlaksvíkからÁnirとHaraldssundを経由し、トンネルを抜けてクノイ村に至る. かつてSkarðという集落もあったが、1913年のクリスマスイブに海難事故が起き、村にいた働きざかりの男性7人全員が死亡したため(生き残ったのは14歳の少年と70歳の老人のみ)、住民はHaraldssundへ移った. 現在Skarðは無人となっている.
著名な島の出身者に、フェロー語詩人で教育者・政治家でもあり、フェローの国歌の歌詞を書いたことでも知られる、Símun av Skarðiがいる.
現在島にある集落は2つ. 西岸にある人口64人のクノイ村と、南東岸にあるHaraldssundである. 1988年に、この2つの集落を結ぶトンネルが開通した. 現在は島の舗装路を路線バス(番号:504番)が通っており、KlaksvíkからÁnirとHaraldssundを経由し、トンネルを抜けてクノイ村に至る. かつてSkarðという集落もあったが、1913年のクリスマスイブに海難事故が起き、村にいた働きざかりの男性7人全員が死亡したため(生き残ったのは14歳の少年と70歳の老人のみ)、住民はHaraldssundへ移った. 現在Skarðは無人となっている.
著名な島の出身者に、フェロー語詩人で教育者・政治家でもあり、フェローの国歌の歌詞を書いたことでも知られる、Símun av Skarðiがいる.
地図 - クノイ島 (Kunoy)
地図
国 - フェロー諸島
アイルランドの修道士が最初に発見して修道院を築いていた. その後、9世紀頃ノルウェー西部からノルマン人(ヴァイキング)が入植し、11世紀にはノルウェー領となった. 1380年、ノルウェーとデンマークが同君連合(後のカルマル同盟につながる)に入って以来は、デンマークの支配を受けている. ただし第二次世界大戦中は、ナチス・ドイツに占領されたデンマーク本土とは分断され、イギリスの占領下にあった. この期間の住民自治が自治政府要求の住民運動につながった. 1946年に行われた住民投票では、フェロー諸島の分離独立派が勝利したが、デンマーク政府によるフェロー諸島議会の解散により独立は阻止された. 1948年には国防と外交の一部を除く権限を持つ自治政府が成立した. デンマーク本国は1973年に欧州共同体(EC)に加盟したが、フェロー諸島は本国とは異なる独自の外交路線を歩んでおり、現在も欧州連合(EU)には加盟していない. 自治領であるためオリンピックへ出場する際はデンマーク選手団に含まれるが、パラリンピックには単独での代表選手派遣が認められている.
通貨 / 言語
ISO | 通貨 | シンボル | 有効数字 |
---|---|---|---|
DKK | デンマーク・クローネ (Danish krone) | kr | 2 |