プトラジャヤ (Putrajaya)
第4代首相マハティールの提唱により、1990年代半ばから開発が着手された. 首都機能のプトラジャヤへの移転はあるものの、マレーシアの首都はクアラルンプールのままであり、国会もクアラルンプールにある.
市名のプトラジャヤは初代首相のトゥンク・アブドゥル・ラーマン(Tunku Abdul Rahman Putra)にちなんでいる. putraはサンスクリット語由来のマレー語で「王子」を意味し、jayaは「勝利」を意味している. なお、中国語では布城と表記される(読みはブーチェン).
1980年代、過密化が進むクアラルンプールから行政機構を移転させる構想が第4代首相のマハティールによって発表された. 新しい首都はクアラルンプールとクアラルンプール国際空港の間に建設するのが望ましいと提案され、1990年代中期にスランゴール州との交渉に入った. その結果、連邦政府はスランゴール州から46km²の土地を購入した. 新首都はBandar raya Taman, Bandar raya Bestari(ガーデンシティ・インテリジェントシティ)をテーマに設計され、都市の38%を緑地として保存するように計画された. プトラジャヤの建設はマレーシア最大の国家プロジェクトとして、マレーシアの建設会社の手によって1995年8月に始まった. 建設費は81億米ドルを見込んだ. 1997年のアジア通貨危機によって工事は遅れ、1999年に首相官邸の機能の一部がプトラジャヤに移転を開始、2001年2月にはクアラルンプールとラブアンに次いでマレーシアで3番目の連邦直轄領となった.
2002年、KLIAトランジットという高速鉄道がセパン市のクアラ・ルンプール国際空港やクアラルンプールのクアラルンプール・セントラル駅とプトラジャヤとの間に完成した. 計画されていたプトラジャヤ・モノレールは費用の面で建設が中止された.