ブカレスト (Bucharest)
ブカレストが最初に文書に言及されたのは1459年のことで、それ以来様々な変化を経験し1862年にルーマニアの首都となった. 首都になってからはマスメディアや文化、芸術の分野で着実にその地位を固めた. ブカレストの建築物には歴史的に新古典主義建築や戦間期のバウハウス、アール・デコ、共産主義時代、そして現代と様々なものが混ざり合っている. 戦間期のブカレストは優雅で洗練された建築物により「小パリ」(Micul Paris) という愛称が付けられていた. しかしながら、これら多くの建築物や歴史的な中心部は戦争や地震、ニコラエ・チャウシェスクにより始められた1970年代半ばのにより損害を受けたり破壊された. 一部は、被害を免れた建築物もある. 近年では経済や文化的なブームが起こっている.
2011年に行われた国勢調査の暫定値によればブカレスト市域の人口は1,677,985人で 、2002年に行われた国勢調査に比べ減少している. ブカレスト市域を超えた都市的地域の人口は193万人であった. 都市的地域周辺の衛星都市を加えたブカレスト都市圏とされる地域の人口は220万人である. ユーロスタットによればブカレストの大都市圏の人口は2,151,880人である. 非公式な統計によれば300万人を超えるとされている. ブカレストは欧州連合の市域人口で10番目に大きい都市である. 経済的にはブカレストはルーマニアではもっとも豊かな都市で 、東ヨーロッパでは産業や交通要衝の中枢都市の一つである. ブカレストには様々な都市機能が集約されている. 自治体としてのブカレストはブカレスト市(Municipiul București)として首都であり県と同格の特別な地位が与えられ、市内は6つの行政区(セクトール)に分けられている.