ルコヴィツァ (Lukovica)
ルコヴィツァはラドムリャ川(Radomlja)沿いのチュルニ・グラベン渓谷(Črni graben)にあり、名前の由来はスロベニア語で港(port)を意味する「lukati」. ルコヴィツァとその東隣のヴランスコ間の渓谷は狭い. 住民の大半はこの渓谷に住む.
ラドムリャ川は氷河期のころから交通路として使われており、ケルト人、古代ローマ人、トルコ人、フランス人などが利用してきた. 特に古代ローマ人は、渓谷沿いにイタリアのアクイレイア(ルコヴィツァの西120キロメートル)とスロベニアのツェリェ(ルコヴィツァの東50キロメートル)を結ぶ大道路を作っている.
ルコヴィツァが文献に登場するのはルネサンス期の1304年のことで、狭い耕作地にわずかな住民が暮らしていたことが書かれている. この頃、ルコヴィツァの町ゴルチャイ(Golčaj)には聖アグネス教会が建てられ、続くゴシック期にはスポドニェ・プラプレチェ(Spodnje Prapreče)の町にゴシック建築の聖ルーカス教会が建てられている.
1552年には付近の領主イヴァン・ランベルク(Ivan Lamberg)によりブルド城(Brdo)が建てられており、今でも城跡の一部を見ることができる.
19世紀にはフランスの支配を受けるが、ルコヴィツァ住民は激しく抵抗したため「rokovnjač」と呼ばれ、その伝説が現在の市旗にもデザインされている.
現在のルコヴィツァはリュブリャナ-ツェリェ-マリボルを結ぶ国道A1号線沿いにある.
市を代表する人物には、作家のJanko Kersnik(1852-1897)、Fran Maselj Podlimbarski(1852-1917)、詩人のJovan Vesel Koseski(1798-1884)、Prevoje Jakob Zupan、音楽家のFrance Marolt(1891-1951)、Oskar Dev(1868-1932)などがいる.