マスカット (Muscat)
なお、「マスカット市」(旧市街)自体は人口2万人と非常に小さく、同名の行政区(事実上の都市圏)が「マスカット」として機能している. 都市圏(行政区)にはスィーブ、バウシャル、ムトラなどを含み、面積は3,800km2、人口は775,878人と国内最大級のものとなる. 一方のマスカット市は8.1km2、20,272人である(2010年国勢調査 ).
古代ローマ時代のアレクサンドリアの学者プトレマイオス(83年頃 - 168年頃)が記した"Map of Arabia"にはCryptus Portus とMoscha Portus の2つの地域が定義されているが、2つのうちどちらが現在のマスカットと関連があるかについて研究者の意見は分かれている. また同時代にローマで活躍した歴史家アッリアノス(86年 - 160年)の著書にはOmanaとMoschaという地名が見られる. アッリアノスの著書の翻訳を行ったとJean Baptiste Bourguignon d'Anville(en:Jean Baptiste Bourguignon d'Anville)は、Omanaはオマーン、Moschaはマスカットを示していると結論付けた. 博物誌の著者である大プリニウス(22 / 23年 - 79年)が言及したAmithoscutaという地名も、現在のマスカットを示していると考えられている.
マスカットの語源については、諸説分かれている.
* アラビア語のmoscha(膨れ上がった皮)
* 「停泊地」もしくは「錨を下ろす場所」
* 古代ペルシア語のmuscat(強い香り)
* アラビア語の「落ちる場所」 「山が海に落ちるところ」 - オールド・マスカットの背後にある岩山が海に面していることに由来する.
* アラビア語の「隠れる」