カンザス州 (Kansas)
全域がグレートプレーンズ(大平原)の真っ只中にあって土地が平坦であり、大規模農業に適しているため農業、また牧畜業が盛んである. 反面、地形の変化に乏しく、州全体に単調な田園風景が延々と広がっている.
州都はトピカ市であり、州最大の人口を抱える都市はウィチタ市、次いでオーバーランドパーク市、カンザスシティ市、オレイサ市、州都トピカ市と続く.
現在のカンザス州となっている地域には、1000年以上にわたってインディアンが住んでいた(ミシシッピ文化). 「カンザス」は、この地に先住したインディアン部族のカンサ族に由来し 、州内を流れるカンザス川に名付けられていたものが州名になった. 部族名「カンサ」は「風の民」あるいは「南風の民」を意味しているが、この言葉の元々の意味するところとは異なっている可能性がある.
* 主要記事:カンザス州の歴史
この地に最初に足を踏み入れたヨーロッパ人は、1541年の探検家フランシスコ・バスケス・デ・コロナドだった(コロナド遠征隊).
1803年、現在のカンザス州の大半はルイジアナ買収の一部としてアメリカ合衆国の領土になった. しかし、州南西部はスペイン、続いてメキシコ、さらにテキサス共和国の一部である時代が続き、1848年に米墨戦争の終結によってアメリカ合衆国の領土になった. 1812年から1821年まではミズーリ準州の一部になっていた. カンザスを横切るサンタフェ・トレイルでは、1821年から1880年まで、ミズーリ州から工業製品が、現在のニューメキシコ州サンタフェからは銀と毛皮が運ばれた. この道のプレーリー地域では荷車の轍が現在も見られる.
1827年レブンワース砦が白人アメリカ人の最初の恒久的開拓地になった. 1854年5月30日に制定されたカンザス・ネブラスカ法で、ネブラスカ準州とカンザス準州が設立され、白人開拓者に広大な土地が開放された. この時のカンザス準州は西の大陸分水界まで伸びており、現在のコロラド州デンバー、コロラドスプリングス、プエブロがある地域が含まれていた.
ミズーリ州とアーカンソー州からはカンザスの東部境界にそって開拓者を送り出した. これらの開拓者は奴隷制度を州内に広げるために住民投票を支配しようとした. 続いて州内に入ってきたのは、マサチューセッツ州など自由州からの奴隷制度廃止運動側開拓者であり、隣接するミズーリ州から奴隷制度が拡大されてくるのを止めようとした. これら開拓者が武力で衝突し、「血を流すカンザス」と呼ばれるようになる小競り合いの時代が続いた. これは南北戦争の前哨戦になった.
1861年1月29日、カンザスはアメリカ合衆国34番目の州として、奴隷を持たない自由州になった. この時点までに州内の暴力事件はほとんど沈静していた. しかし、南北戦争中の1863年8月21日、ウィリアム・クァントリルが数百人の男を率いてローレンス市を襲い、市街地の大半を破壊し、200人近い人々を殺した(ローレンスの虐殺). クァントリルは、アメリカ連合国軍からも、ミズーリ州議会が任命したゲリラ的レンジャー部隊からも厳しく批判された. クァントリルはこれら部隊への任官を申請したが、戦前の犯罪記録があったために宜も無くはねつけられた.
地図 - カンザス州 (Kansas)
地図
国 - アメリカ合衆国
アメリカ合衆国の国旗 |
アメリカ合衆国(United States of America)の頭文字を取って「U.S.A.」もしくは「USA」、合衆国(United States)の頭文字を取って「U.S.」もしくは「US」、または単にアメリカ(America)とも称される.
通貨 / 言語
ISO | 通貨 | シンボル | 有効数字 |
---|---|---|---|
USD | アメリカ合衆国ドル (United States dollar) | $ | 2 |