カタルーニャ語
カタルーニャ語(カタルーニャご、català )は、スペイン東部のカタルーニャ州に居住しているカタルーニャ人の言語. よく見られるカタロニア語という表記は地方名の英語名に由来する. インド・ヨーロッパ語族イタリック語派に属する.
カタルーニャ地方のほか、バレンシア州、バレアレス諸島州、アラゴン州のカタルーニャ州との境界地域、南フランス・ルシヨン地方(北カタルーニャ)、イタリア・サルデーニャ州アルゲーロ市などに話者がいる.
アンドラ公国では公用語になっており、またスペインではガリシア語、バスク語と並んで地方公用語(カタルーニャ、バレンシア、バレアレス諸島各自治州)となっている. なお、バレンシア州は同地で話されているこの言語の地域変種の名称を「バレンシア語」と規定しており 、このことは同州で話されているこの言語を、カタルーニャ語のバレンシア方言であるか、バレンシア語であるかと言う議論に発展した. また、
カタルーニャ語は、ピレネー山脈東部の南北両側麓で話されていた俗ラテン語から派生している. ガロ=ロマンス語、イベロ=ロマンス語、北イタリアで話されていたガロ=イタリア語の特徴と原点を同じくする. アラゴン連合王国のレコンキスタによって、カタルーニャ語は南へ西へ広がり、バレンシア州やバレアレス諸島で話されるようになった. 15世紀、バレンシア黄金時代にカタルーニャ語文学は頂点に達する.
しかし、ピレネー条約によってフランスへ割譲された北カタルーニャ(ルシヨン)ではカタルーニャ語の公での使用が禁止されてしまう. スペインにおいても、スペイン継承戦争の敗者であったカタルーニャでは、フェリペ5世が布告した新国家基本法によって、行政および教育の場でのカタルーニャ語使用が禁止された.
19世紀末にはカタルーニャ・ルネサンスと呼ばれる文芸復興運動(ラナシェンサ)が起こり、成果を見せた. 20世紀初頭には、文法学者・言語学者プンペウ・ファブラが正書法、文法書、辞書を完成させ、現代カタルーニャ語の規範化に貢献した.
ところが、1936年に勃発したスペイン内戦と後のフランシスコ・フランコによる独裁政権により、地方語は激しい弾圧を受け、カタルーニャ語も公的な場から追放、プンペウ・ファブラも弾圧によりフランスへ亡命した. カタルーニャ語は、公の場ではFCバルセロナのホームスタジアムカンプ・ノウ内を除いて一切の使用が禁止され、再び暗黒時代に入る.
フランコ独裁後期、カタルーニャの民俗および宗教行事が再開され、これらの行事の際にカタルーニャ語を使用することが容認された. 1975年11月のフランシスコ・フランコの死後、フアン・カルロス国王の治世下でスペインの民主化が進むなか、40年近くの間使用が禁止されていたカタルーニャ語も復権した.
カタルーニャ地方のほか、バレンシア州、バレアレス諸島州、アラゴン州のカタルーニャ州との境界地域、南フランス・ルシヨン地方(北カタルーニャ)、イタリア・サルデーニャ州アルゲーロ市などに話者がいる.
アンドラ公国では公用語になっており、またスペインではガリシア語、バスク語と並んで地方公用語(カタルーニャ、バレンシア、バレアレス諸島各自治州)となっている. なお、バレンシア州は同地で話されているこの言語の地域変種の名称を「バレンシア語」と規定しており 、このことは同州で話されているこの言語を、カタルーニャ語のバレンシア方言であるか、バレンシア語であるかと言う議論に発展した. また、
カタルーニャ語は、ピレネー山脈東部の南北両側麓で話されていた俗ラテン語から派生している. ガロ=ロマンス語、イベロ=ロマンス語、北イタリアで話されていたガロ=イタリア語の特徴と原点を同じくする. アラゴン連合王国のレコンキスタによって、カタルーニャ語は南へ西へ広がり、バレンシア州やバレアレス諸島で話されるようになった. 15世紀、バレンシア黄金時代にカタルーニャ語文学は頂点に達する.
しかし、ピレネー条約によってフランスへ割譲された北カタルーニャ(ルシヨン)ではカタルーニャ語の公での使用が禁止されてしまう. スペインにおいても、スペイン継承戦争の敗者であったカタルーニャでは、フェリペ5世が布告した新国家基本法によって、行政および教育の場でのカタルーニャ語使用が禁止された.
19世紀末にはカタルーニャ・ルネサンスと呼ばれる文芸復興運動(ラナシェンサ)が起こり、成果を見せた. 20世紀初頭には、文法学者・言語学者プンペウ・ファブラが正書法、文法書、辞書を完成させ、現代カタルーニャ語の規範化に貢献した.
ところが、1936年に勃発したスペイン内戦と後のフランシスコ・フランコによる独裁政権により、地方語は激しい弾圧を受け、カタルーニャ語も公的な場から追放、プンペウ・ファブラも弾圧によりフランスへ亡命した. カタルーニャ語は、公の場ではFCバルセロナのホームスタジアムカンプ・ノウ内を除いて一切の使用が禁止され、再び暗黒時代に入る.
フランコ独裁後期、カタルーニャの民俗および宗教行事が再開され、これらの行事の際にカタルーニャ語を使用することが容認された. 1975年11月のフランシスコ・フランコの死後、フアン・カルロス国王の治世下でスペインの民主化が進むなか、40年近くの間使用が禁止されていたカタルーニャ語も復権した.
国
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アンドラ
フランスとスペインに挟まれたピレネー山脈中にあり、歴史的理由によりフランス大統領とカタルーニャ(ラ・セウ・ドゥルジェイ)のウルヘル司教の2名の共同大公を元首とするミニ国家である. -
イタリア
イタリアはヨーロッパにおける古代文化の発祥地の一つとして知られ、同時に世界的な文化大国の一国に数えられている. 文化・学問・宗教で歴史的に影響力を発揮しており、バチカン市国を首都ローマの領域内に事実上保護し、レオナルド・ダ・ヴィンチやガリレオ、ミケランジェロ、コロンブス、マキャヴェリといった偉人たちの故国でもある. かつてのローマ帝国の中枢となる地域であり、またルネサンスやリソルジメントなどの幾つかの世界史的事象の主要な舞台となった. -
スペイン
西にポルトガル、南にイギリス領ジブラルタル、北東にフランスとアンドラ、アフリカ大陸にあるセウタとメリリャではモロッコと陸上国境を接する. -
フランス
フランス本土は、北は北海、イギリス海峡、大西洋(ビスケー湾)に、南は地中海に面する. 陸上では、東はベルギー、ルクセンブルク、ドイツ、スイス、イタリアと、西ではピレネー山脈でスペイン及びアンドラと国境を接するほか、地中海沿岸にミニ国家のモナコがある.