沿ドニエストル共和国 (Unitatea Teritorială din Stînga Nistrului)
本記事では原則として、事実上の独立国家については「沿ドニエストル(共和国)」、地理的な範囲については「トランスニストリア」と呼ぶこととする.
沿ドニエストル共和国は、独自の政府、議会、軍隊、警察、郵便制度、通貨、車両登録を有する. また、独自の憲法、国旗、国歌、国章を承認している. 2022年時点、国旗において旧ソビエト連邦の国旗にあった「鎌と槌」を採用している唯一の国である.
モルドバとドニエストル左岸地域の未承認国家(沿ドニエストル共和国)の間で1992年に勃発したトランスニストリア戦争は、ロシアの支援を得た沿ドニエストル共和国が勝利し、ドニエストル左岸地域の大部分に対して、同国による実効支配が続くこととなった. 以後、この地域には「平和維持軍」と称したロシア連邦軍の駐留が続いており、モルドバの実効支配は及んでいない.
沿ドニエストル共和国は、アブハジア、アルツァフ、南オセチアの、国際的にほぼ承認されていない3つの国家にしか承認されていない. 国際的には当地域はモルドバの一部と認められており、モルドバは当地域を、特別な法的地位を有する自治地域ドニエストル左岸行政区画(Unitățile Administrativ-Teritoriale din stînga Nistrului)と定めている.
地図 - 沿ドニエストル共和国 (Unitatea Teritorială din Stînga Nistrului)
地図
国 - モルドバ
モルドバの国旗 |
モルドバの国土は、歴史的にモルダヴィアと呼ばれた、ウクライナ南西部やルーマニア北東部も含む地域の一部にある. 1349年に建国されたボグダニア公国が後にモルダヴィア公国へ発展したものの、1512年にオスマン帝国の属国となった. 北から伸張したロシア帝国が度重なる露土戦争でオスマン帝国を圧迫し、ヤシ条約でトランスニストリア南部を、1812年のブカレスト条約ではモルドバの国土の大半に当たるベッサラビアを併合した. 1856年、ベッサラビア南部はモルダヴィアに返還され、3年後にモルダヴィアはワラキアと統合してルーマニア公国となったが、1878年に全土がロシア帝国に支配されるようになった. 1917年のロシア革命では、ベッサラビアは一時モルダヴィア民主共和国と呼ばれるロシア共和国の自治州となった. 1918年2月、モルダヴィア民主共和国は独立を宣言し、同年末、議会の議決を経てルーマニア王国に統合された. この決定にはソビエトロシアも異を唱え、1924年にはウクライナ・ソビエト社会主義共和国内で、ベッサラビア東部の一端に設けられたモルドバ人居住地にモルダヴィア自治共和国を建国した.
通貨 / 言語
ISO | 通貨 | シンボル | 有効数字 |
---|---|---|---|
MDL | モルドバ・レウ (Moldovan leu) | L | 2 |